わたしたちの日常生活は、膨大な情報にあふれています。
ややもすると、その膨大な情報による刺激に踊らされ、漠然と日々を過ごしてしまう、、、
そのような状態に違和感や息苦しさを覚えながらも、その感覚に蓋をし、生き延びるためにただ反応し続ける。
身体はとても正直で、肩こりや腰痛、頭痛などの症状でサインを送ってくれます。
さらに無視をし続けると、大病やアクシデントでその流れにストップをかけてくれることも。
わたしたちは、常に何かを感じ続けています。
しかし、慌ただしい日常生活を送る中で、感じていることをなかったことにする働きを強化してしまいます。
そうすると、ほんとうの喜びに触れることが出来なくなってしまう。
誰でも何かを感じている。
ただ、感じていることに気づけなくなっているだけ。
気づけるようになるためには、器である身体を整えることが肝要です。
ごきげんラボでは、「感じていることに気づく器」を整えるお手伝いをしています。
身体に空間が生まれ、通りが良くなると、世界の見え方が変化します。
その器は、自分を大切に、自分に正直に生きるベースになります。
・ベッドに横になっていただきます。
・プラクティショナーとクライアント、双方が心地良い立ち位置を決めていきます。
・お互いの身体が安心安全を感じることで、イールド(能動的にゆだねる原初の動き)が進んでいきます。
・イールドが進むことで、さらに場の安心安全が深まっていきます。
・プラクティショナーは「こうあって欲しい」「こうあるべきだ」「こうしたい」という思い込みを外し、からっぽの状態でただ共に居ます。
・「身が動く」ままに最低限の介入(具体的には身体へ軽く触れる)をしたりしなかったりします。
・安心安全を感じることでクライアントの身体に起こる、その時に必要な「あらわれ」を一緒に眺めます。
・一連の「あらわれ」が落ち着いた頃に終了となります。
ご感想
セッションの空間の大安心の中では、身体は本当に自由だったと思います。
施術が終わってベッドから起き上がった後は、明らかに視界がハッキリし身体の広がりも実感しましたし、歩いてみても軽い!
そして何よりもイールドの面白さを実感したのは、訳もなく笑いが込み上げてきて、それからずっとケタケタ、ニタニタが止まらなくなったことです。
とにかく肚から笑みが湧き上がるんです。
これが恐らく「わたし」という‘’現れ‘’のデフォルトなのではないかな、と感じました。何故ならば、玉ねぎの皮が全部剥かれたような物凄く素直な気分だったから。
今回の初めてのイールド体験。
これは真の「わたし」との出合いでもありました。これを知っていることが、今後どれほど生きる指標になるか!
プラクティショナー流生さんとの「間合い」が繰り広げる、実に温かなひとときを体感しました。
ご感想
立つ場所を変えているだけなのに、身体の感覚が違いました。
流生さんはただそこにいるだけ。
なのに、位置によって違いがあるのがわかります。
普段、身体がどう感じているのかなんて、意識向けずに生活を送っていますが、あらためて瞬間瞬間、場所や状況によって身体はいろんなことを感じ取っているんだということに気づかされます。
わたしも特に気にならないところ、そして流生さんも心地が良いところがみつかりそこからスタート!・・・ですが・・・、
やはり流生さんは何もせずそこにいるだけ。
でも不思議とからだがボカポカしてきていることに気づきます。
安心安全な場ができると、勝手に必要なことが起こる。
流生さんも、わたしもゆるめようとはしておらず、
気づいたらあれ?ゆるんでた?というかんじ。
終わってから、立ってみると、足がしっかり床にすぼっとささってるような感覚が!まさにグラウンディングしてる!!
ほとんど何もしてないのに、勝手に身体がととのっていた。
半分寝ているような意識状態の中、ただそこを漂っているような時間でした。
セッション前は何が起こるのかと、どこかドキドキしていて、気が上がっていたのだけれど、終わってみるとおだやかにその場の空気になじんでいる感じで、ゆったりしていました。
心地よくなるというより、本来に戻っていく感じ。しあわせーな感覚。
本来はこの感じで生きたらいいのに、わたしたちは、すぐに何かしようとしたり、思考でコントロールしたりしてどこか固くなるところがあるなと思います。
時間の感覚も忘れてただそこに横になっているだけで、身体が変わっていく。
安心安全な場がそこにあれば、自然とゆだねられる身体になっていく。
究極のボディワークだと思います。