Yielding Embodiment®︎セッションのご感想をまとめています。

セッションはその時の間合い・関係性でなにが起きるか、なにを感じるかわかりません。

まさに「一期一会」です。

セッションを受けた方がどんなことを感じたのか、ぜひ、ご一読下さい。

 


こういう、なんとなく「意味ありげ」なビジョンも、
みずから「追いかけなくていい」のが楽だなあ、と感じた。
必要があって出てきて、必要があって流れ去って消えていく。
それだけ。
癒しの全プロセスを、私自身が把握していなくていいのだ。
そこに無理に意味をつけなくていいのだ。
ほっとする。
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ただ、今感じるのは
全てが起こるべくして起こっているんだろうという事です。
流生さんのセッションは、とても不思議なセッションでした。
お互いが、お互いに素直に在る事で
癒やしが起きていく。

 

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そして何よりもイールドの面白さを実感したのは、訳もなく笑いが込み上げてきて、それからずっとケタケタ、ニタニタが止まらなくなったことです。
とにかく肚から笑みが湧き上がるんです。

これが恐らく「わたし」という‘’現れ‘’のデフォルトなのではないかな、と感じました。何故ならば、玉ねぎの皮が全部剥かれたような物凄く素直な気分だったから。

今回の初めてのイールド体験。
これは真の「わたし」との出合いでもありました。これを知っていることが、今後どれほど生きる指標になるか!

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今回受けたイールドセッションは
一般的な施術等と違い、「治った」或いは「良くなった」というより、体内にあった欲求や可能性、希望のようなものが「引き出された」という感覚でした。

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Yielding Embodiment®︎セッションを通じて感じたのは、「集中」というものがどういうものかについて深く理解することができたということです。

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干渉しない母性。

二人なのに、ひとりきり。

流生さんはいるけど、空気みたい。

 

そうか、これまで流生さんに会ったり話したりしていて感じていたのは、まさに「干渉しない母性」だったんだ。

(母性って暖かく包み込む、受容のエネルギーが強いんだけど、「おせっかい」も同時にある。流生さんにはそれがまったくない。潔いほどない。でも、愛がないのでは決してない)

 

分かってスッキリ、言語化できてスッキリ。

 

そしてこの「干渉しない母性」のエネルギーを浴びた時、人はひらくのだろう。

誰もが自然に身に着けて、もう着ているのかどうかも分からない「自己防衛」と洋服を脱ぎ捨てて。

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流れているエネルギーの
粗さが微細なものへと
変化していっているので
不快感はなく
発動した自己治癒力によって
どんどん体が回復していく感じ。

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私が横になってまず聞かれることは、「どこに立って欲しいですか?」ということ。

受ける側がくつろぎや安心感を一番感じられる、そういった位置関係を聞いてもらうことはとても重要に思えますが、なかなかそうしてくれるところはありませんから嬉しかったです。

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